6 史跡 石上のしん跡

 

この地の山裾から国道に至る畑地一帯は、昔から「シン寺」と呼ばれているが、正式の名称は全く不明である。

 榛名神社は昔は神仏混淆の寺で、古記録によれば「シン寺」は榛名山の別院あるいは挨拶寺(応接所)であったという。

 また、一説には座主の住宅ともいわれ、冬の寒い時期は座主がここで過ごしたともいわれている。

 足利将軍から尊信あつい頼印は、榛名山座主快尊と争いこれを滅ぼし、座主・を兼任して榛名山の実権を一手に収め、ここに住み榛名山へ通ったという記録が残されている。

 当時を推測するものとしては、畑地の各所にある礎石らしい大石と、観応2(1351)年10月4日と銘のある五輪塔(残欠)と無銘の五輪塔数基のみであり、いずれも畑の土中から発見された。

 

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