31 倉渕村指定 重要有形民俗文化財  猪毛の道祖神

                 指 定  平成3年1月18日

                 所在地  倉渕村大字川浦字三沢入3078−1

 数ある倉渕村の道祖神の中で、極めて異質な丸彫り単体の二神像である。この型は伊豆半島から西の「三河型」と呼ばれるもので、現在もこの地に残る下家の伝承によれば、下但馬守が三河地方から運んできたものとされる。

 但馬守は信玄の西上野の目付として永禄年間のはじめ、この地に派遣されたらしく、自分が信仰するこの石像を携えてこの地に入り、この像を祀ったものであり、この地は下但馬守の居館跡であろう。

 今も5月5日には祭礼が行われ、広く村外からも万病平癒の願かけ、願果たしも盛んに行われている。

 武田氏滅亡後、下氏の一族の主税助は小田原の北条氏政の家来となり、配下の松井田城へ出仕したらしい。

 なお、この像は三体あり、そのうちの背後の一体が下但馬守が持ってきた二体のうちの一体で、天災による一体紛失により、再造像をこの地で行ったもので、江戸時代中期頃のものと推定される。
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