23 倉渕村指定 史跡   高芝学校跡

              指 定  昭和57年4月1日

              所在地  倉渕村大字川浦字大峰2633−2

 大正時代のころは、川浦山高芝地内で植林や炭焼きの人たちが100名以上いたという。そのため、この土地で働く子弟の教育を考えねばならなかった。川浦の小学校からは10キロも離れ、冬季の降雪期には通学不可能であった。そこで、大正3(1914)年、地元の山林所有者中島優太郎らが高芝学校の創設に尽力した。

 校舎は平屋1棟で、間口6間、奥行き3間半のかやぶきで、教室1、教師の部屋1、暖を取る土間があった。1年から6年までの単級で、生徒は20人程度であった。

 教師は安中の士族渡辺忠雄で、自ら希望し夫婦で赴任した。渡辺は漢学者で、剣の達人でもあり、非常に厳格であったという。また反面、子どもたちを可愛がり、子どもの鼻汁を口ですすってやったという話は有名である。夫人たまも、時々裁縫やソロバンを教えていた。渡辺は閉校2〜3年前に退職、本村岩氷の湯ヶ沢で他界した。高芝学校の閉校は、昭和5年ごろである。

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