22 倉渕村 史跡  幕府御用材搬出御会所跡

                 指 定  昭和57年4月1日

                 所在地  倉渕村大字川浦字高芝27−5

 天保5(1834)年、幕府は用材として川浦山から大量のけやきを伐り出し、烏川に流して多野郡新町に送り、そこから筏を組んで江戸まで運んだ。

 この伐り出し一切の仕事は吾妻郡大戸村(現在、吾妻町)の加部安左衛門、勢多郡水沼村(現在、黒保根村)の星野七郎右衛門の2名に命ぜられた。この御会所は陣屋とも呼ばれ、その仕事の指揮監督するところである。

 「川浦山御用木御伐出絵図」(倉渕村指定重要文化財 宮下大十郎氏所有)によると、会所は板屋根に石をのせた平屋建てで、周囲に柵をめぐらし、柵の外にも付属建物が見えている。おそらく、この会所は、江戸から派遣されてきた役人たちが寝起きし、杣(そま)や日雇い人夫などが小屋掛けをして山仕事に当たっていたのであろう。

 「星野日記」によると、杣職は3組(1組18人)、日雇い人夫も3組で66人いたと記されている。けやき伐り出しの工程は、御伐出絵図にくわしく書かれている。

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