21 倉渕村指定 史跡 善光寺道問屋場跡
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指 定 昭和57年4月1日 所在地 倉渕村大字川浦字氷妻27−11
権田から川浦、月並、高芝を通って大笹、信州へ至る「川浦廻り善光寺道」は、間道であったが古くからかなり利用されていた。 この道は山が深いので、途中に中継所や休憩所も設けられ、旅人の便をはかっていた。高芝地内では、地元の伊井家が「うまやど」を営み、藤牧家は「みねの問屋」を経営していた。 この「みねの問屋」がこの問屋場であり、善光寺参りの人々の往来や多くの物資が輸送された。物資の主なものは、上州側からは竹や油を運び、信州からは米が入ってきたという。 この問屋場は峠近くにできたもので、飲料水も近くにあり、荷物輸送の中継ぎ点としても休憩所としても条件が備わっていた。 問屋場を通るこの路線は、昭和39年「長野原―倉渕線」として主要地方道(現在 県道32号線)に指定された |
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