20 倉渕村指定 史跡 観音山小栗邸跡

             指 定  昭和57年4月1日

             所在地  倉渕村大字権田字観音山3584−1

 小栗上野介は、江戸幕府の要職を免ぜられ、慶応4(1868)年3月1日、家族、家臣とともに権田村に隠棲した。当初は東善寺を仮住居とし、ここに住宅の建設を始めた。宅地の造成、用水路、田畑の開発を行い、そして3棟の住宅建築にかかり50余日で、間口12間、奥行き7間半総二階の主屋1棟が上棟のはこびとなった。小栗日記によるとこれは4月28日のことである。

 ところが、翌29日から事態が急変し、江戸城総攻撃のため薩長の東山道軍が高崎を通過の際、小栗に謀反の意志ありとして配下を差し向け、ついに翌月閏4月5日高崎・安中・吉井三藩に命じて小栗を捕らえ、一言の取り調べもなく翌6日(太陽暦では5月27日)烏川の水沼河原で家来三人とともに斬首した。

 完成を見なかった小栗邸は、現在前橋市総社町の都丸家の住宅となって現存している。

 邸跡には礎石など残り、水路も利用されている

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