7 史跡 (伝)権田栗毛終焉の地

 

寿永3(1184)年、一の谷に合戦において勇名を馳せた武蔵国(現埼玉県)の住人、熊谷次郎直実の乗馬「権田栗毛」は、余命を生まれた土地権田村で過ごさせるため主の許より放たれ、権田までたどりついたがなつかしい生家は今はなく、落胆して引き返す途中ついに力尽き、この地で最期をとげたという。

 なお、この伝説について次のことが言い伝えられている。

 1 最期にあたり、この川の上(かみ)に向かって流れる水を飲んだという。

  (俗にこれを「さかさ水」という。)

 2 約30メートル山際に入った所に、枕にしたという「枕石」がある。

 3 権田栗毛が着用した「鞍」と「くつわ」があったが、保管所祐全寺火災の折りに                焼失した。なお、奥の庭に大きな馬頭観音と石のほこらがあり、かつては近隣の信仰を集めて、馬をひいて参詣する人も多かったという。

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