小布施(蔵部)へ

2002.04/23

門前の小僧信州を行く

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2002 小栗椿 須坂臥竜公園 満開の桜画像はこちら
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よく見てください 伊藤仙峰画
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出会い 伊藤仙峰 書と画 記念写真
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今日も食べました。 山家(やまが)定食in竹風堂
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なぜか  善光寺
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高井鴻山記念館に咲く花
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高井鴻山像 蔵部へ
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セーラ・マリ・カミングスさん

村上先生
ここでも
記念撮影
そう
これは俺が書いたのさ!!
岩松院住職

 ◇日本酒に心底ほれ込み−−セーラ・マリ・カミングスさん

 小布施の夜はこぢんまりと静かだ。なのに重い引き戸の向こうには、そこだけ別の時間が
流れている。酒蔵を改装したレストラン「蔵部」。カマドを据えたオープンキッチンでは、法被
にねじり鉢巻きの男性スタッフがきびきび立ち働く。清潔で重厚な調度、品のいい器。家族
連れやカップル、グループなどで平日も席は埋まり、和やかなざわめきが心地いい。

 かつて酒蔵は、近所の人々が気軽に立ち寄り交流する場だったという。  同店の生みの
親は、カウンターの端に座ると開口一番、スタッフに「空調が暑いです」と小声でアドバイス
した。

 子供のころ、グローバルに活躍するのが夢だった。日本酒を売り込むため世界を飛び回る
現在の生活は、思い描いた将来像に近い。「でも、日本の山の中に住むとは思っていなかっ
た」。すべては偶然の出会いの積み重ね。大学の交換留学生として来日したのが縁で93年、
五輪組織委員会のスタッフとして長野へ。翌年、「古いものと新しいものが調和する面白さにひ
かれて」栗菓子のしにせ・小布施堂に就職した。

 敷地内にある「枡一市村酒造場」の古い酒蔵が取り壊され、レストランが建てられると聞いた
のはそのころ。「300年も続く蔵は日本人みんなの文化財だ」と存続を主張した。「余計なお世
話」の声に、「ロマネ・コンティがドライブインを作ったら存在価値がなくなってしまうでしょう」と応
じた。計画が覆ったのは着工の3日前だ。

 逸話には事欠かない。パークハイアット東京の完成度の高い内装を見て即、香港へ飛び、手
がけた建築家を口説き落とした。桂離宮の写真集を手に「この砂利道を作って」と迫られた造
園業・久保敏幸さんは「余りにも無鉄砲だった」と笑う。「カミングスじゃなく強引(ゴーイン)グ
スだとよく言われた」

 今では同酒造場取締役の肩書を持つ。この秋からは「地元の若者に刺激を与えたい」と、各
界の一線で活躍する人を講師に迎える「小布施ッション」をスタートさせた。全国の蔵元に呼び
かけた「桶(おけ)仕込み保存会」の設立ももうすぐだ。

 新たな試みを打ち出すたび、周囲の人間と机をたたいてどなり合いになることもしばしば。仲
たがいを恐れてはいいものは作れない。「ぬるま湯の湯沸かし器」を自任する。しかし結果を出
し続けたことで、後押ししてくれる人も増えた。

 日本酒とその背景にある文化、精神にほれ込み、「日本酒のこれから」を語る言葉は尽きない。
同酒造場のかつての経営者は、葛飾北斎を滞在させパトロンとなった。「昔から変わり者を迎え
る懐の深さがあった」と笑う。北斎がこの地で傑作を
生んだように、現代の「変わり者」は新たな日本文化を発信し続ける。

【中本泰代】



 米ペンシルベニア州出身。小布施町在住。利酒師の資格も持つ。33歳。

(毎日新聞2001年10月25日長野版から)
http://www.masuichi.com/